写真部員は語りたい#1

写真を撮る行為について

みなさんこんにちは。Nayaseと申します。今回初めて書き物をしていますが、題目は「写真を撮る行為について」としました。
まずはじめに、写真は撮らなければ始まらないという物事の条理、道理があります。その始めの行為には、その人の哲学が映し出されます。

何を思って撮るのかが写真の結果を決めています。

1.私の写真哲学

私がよく撮る写真がスナップ写真です。街にある「おっ」と思った風景や、瞬間をここぞとばかりに写真に収めようとしています。しかし、その試みも功を奏さない場合も多々あります。

ピントが合っていないことがよくあります

こんな失敗写真ばかり量産するのであれば、しっかりとファインダーを覗いて、よく考えてからシャッターを押せば良いではないかという指摘もあるかもしれません。

しかし、それからでは、何が撮りたかったのかや、自分だけが持っていた視点というものがどこか遠くに飛んでいってしまうような気がするのです。例えば、みなさんもよくスマホでなにかを調べようと思ってブラウザを開いて、そこに表示された前に見ていたサイトを眺めて、何を検索しようとしていたのかすっかり忘れてしまったという経験があると思います。

目の前に有る風景は、二度と戻ってこないのです。だからこそ人は写真を撮るのだと思います。そのためには一瞬を逃さない努力と経験が必要であり、それを叶えるのが毎日カメラを持ち歩くということです。

撮ることの日常化は、日常風景に自分を溶け込ませるということでも有る気がする

2.毎日カメラを持ち出して

ある日から毎日カメラを持ち出して、街中を撮り始めるようになってから、目の前の珍しい瞬間を撮り逃すことがなくなってきて、自分でも満足できる、眺めていたい写真がよく撮れるようになってきました。

そして、毎日写真をパソコンに取り込み、選別し、編集することがライフワークのようになってきました。

すると自ずとフィードバックのループが形成され、どのようにすれば良い写真が撮れるかが分かるようになってきます。それが毎日カメラを持つことによる副作用として働く良い点だと思います。

その日の最高のショットを発見できるかできないかは重要な点だと思います

カメラを持ち始めてはじめに撮るのは、建造物や車、看板などの気になった静物でいいと思います。そこから動く人にフォーカスを当て、だんだんここしかないという瞬間を捉えることに自分を慣れさせていくことがいいと思います。 

その繰り返しが洗練された構図、あっと驚く視点が生み出されるのだと思われます。

3. 自分の世界を作る

最後に、段々と写真を撮り慣れて行くと、自分にしか出せない味わいや世界観が構築されます。

それは人に言われて気づいたり、写真をいくつかプリントして机に出して整理したときに気づきます。

なので、自分の写真を改めて客観的に見てくれる人や、プリントをしてまた違った視点から見る目を持つことも大切だと思います。

まとめ

このように、撮る量を増やすことで自分の見ている視点を見つめ直すことが、写真を撮る行為に良い影響を及ぼすことがわかりました。

あなたも目の前を通り過ぎる最高の瞬間を逃さないためにカメラを毎日持ち出してみてはいかがでしょうか?

タイトルとURLをコピーしました